酒々井町

  

 

トップ ページ 
物流用語集 
物流とロジスティックス 
マイボート 
愛艇 
釣用語集 
飛行機の用語 
酒々井町 
人形町と日本橋 
古い映画再鑑賞 
シェルティー 
あざなえる縄のごとし 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイトマップ欧州・アフリカアジア南北アメリカ日本国内食べ歩き・泊り歩きトリビア

african_hr_2.gif

日 本 一 古 い 町    酒 々 井 ( しすい )町 に つ い て

 

この地に移り住んでから はや30年以上経ちました。知らないと読めない地名で 難読地名として

喧伝されていますが 「しすい」 と 発音します。町名は親孝行息子の井戸から酒が湧いたという

酒の井戸の伝説に由来します。千葉県の土地開発公社が売り出した住宅地を購入して建築した

我が家も、息子たち、娘たちが独立し、間取り変更など数度の大幅リフォームで、すっかり様変わり

しました。最近 あらためて この町を調べ始めて けっこう新鮮な驚きがあります。

酒々井町は千葉県の北部中央に位置しています。古代東海道などの陸路や かつて香取の海・印旛浦と

呼ばれた水路が交差する場所であったことから、昔から街道の拠点として人と物の往来が激しいところでした。

江戸時代には譜代大名佐倉藩の城下町、宿駅、幕府野馬御用の町として、また下総諸藩の参勤交代路、

成田山・芝山への参詣路の宿場として賑わい、酒々井町の街道が利用されてきました。このため酒々井の

道には旅人のための道標が多く所在します。江戸時代には江戸幕府直轄の牧場(まきば)を管理する役所の

ある町、成田道の宿場町として賑わいました。

 

1.日本で一番古い 「町」 です。 (町制施行 125周年)

1889年(明治22年)  4月1日の 町村制施行により、酒々井町、下台村、馬橋村、墨村、飯積村、尾上村

中川村、伊篠村、伊篠新田、篠山新田、今倉新田、下岩橋村、柏木村、本佐倉村、本佐倉町が合併し

印旛郡酒々井町が誕生。以来 いっさい合併などをすることなく 独立独歩で進み、

なんと 町制 が敷かれて 125年たっています!  

明治の大合併以降、合併を行っていない町は 全国でも 長野原町(群馬県) と 酒々井町 の2町だけです。

当時 同時に 町 になった都市や 当時まだ 村 であった地域は ほとんどが 市 または それ以上

に昇格していますが 酒々井町は いぜんとして 「町」 で頑張り続けています。

数年前 隣接する佐倉市との合併が議題となりましたが、住民投票で 拒否してしまいました。

 

2.戦国時代(本佐倉城)

酒々井町には 中世戦国時代に繁栄した 本佐倉(もとさくら)城跡( 国指定遺跡 地域約350000㎡)

があります。現在でも 城の土塁や空堀などが ほぼ完全な姿で残されており、1998年9月11日に国の史跡に

指定されています。本佐倉城は文明年間(1469年から1486年)に、千葉輔胤によって築城されました。

輔胤は関東の動乱のなかで千葉宗家を継いだ人物で、「千葉城」が代々の居城でしたが、荒廃したため、

現在の酒々井の地に 「本佐倉城」 を築いて新たな居城としました。 「本佐倉城」は、以後百有余年にわたり

下総の中心となり 戦国時代を通じて千葉家の当主9代が城主として下総全体を治めていました。

1520年頃、最初の城の改修と城下の整備が終わり、城を中心に家臣や商人が集められて、武家屋敷

や町屋・が整い始めました。この頃千葉氏は 下総の覇権を手にすべく 小弓公方や上杉氏・里見氏と

の合戦を繰り返していました。小田原北条氏とは婚姻を通じて手を組みましたが、しだいにその勢力が

弱体化し、ついには親胤・邦胤の二人の当主が  城中で家臣に暗殺されました。天正18年(1590年)

の豊臣秀吉による小田原城攻めに際して 北条氏に味方した千葉氏は滅亡し、本佐倉城は明け渡さ

れました。その後、徳川家康の家臣が入城しましたが廃城となり、その歴史を閉じました。

そんな関係から  本佐倉、上本佐倉といった地名は 現在の佐倉市内ではなく 酒々井町内に存在し

ています。

 

3.江戸時代~明治初期

江戸時代には 成田山詣や芝山仁王尊詣の宿場町として栄えました。

また、幕府直轄の野馬会所(馬市場)が存在し、水上交通の便も手伝って物資の集散地であり、

生産業としては 農業や酒造業が盛んでした。

江戸幕府が軍馬や使役馬の生産のため、戦国時代の牧場を整備して設置した佐倉七牧が有ります。

享保年間に幕府野馬奉行が管理する4牧と、佐倉藩に管理が委託された3牧に分かれています。

面積は約180k㎡、野馬約3,000頭が放牧され、毎年約200頭の馬が捕えられていたそうです。

酒々井町に 佐倉四牧の管理と七牧の野馬取りのための施設を備えた役所の 「野馬会所」があり、

牧士頭を始めとした大勢が勤めていて、近隣210か村の助力を得て馬牧の運営をしていました。

1897年(明治30年)に酒々井駅1914年(大正3年)に南酒々井駅・1926年(大正15年)に京成酒々井駅

1929年(昭和3年)には宗吾駅(現宗吾参道駅)と、鉄道が相次いで開通・駅が設置されました。

鉄道インフラストラクチャーが整っていたことなどから、住宅団地の造成が進んで 現在では 主として

東京・千葉方面に対するベッドタウンとなっています。 

        旧道に現存する 民家

 

4.現状

昭和40年代から住宅団地が造成され、JR酒々井駅・京成酒々井駅の間を開発して「中央台団地」、

JR酒々井駅の東側を開発して 「東しすい住宅団地」などが広がっており、JR成田線快速電車が停

車し、京成電鉄京成酒々井駅宗吾参道駅特急電車が停車するなど、交通の便も改善されてい

ます。また、京成宗吾参道駅の近くには京成電鉄の車庫があります。

人口は約21,000人です。

5.酒々井プレミアムアウトレット

三菱地所・サイモンが運営するアウトレットモールとして 2013年4月19日(金)12時オープンしました。

英文名称は SHISUI PREMIUM OUTLETS  三菱地所系の「プレミアムアウトレット」としては 日本で

9番目だそうで、敷地面積 197,200㎡ (59,700坪)、駐車場台数 3500台の大型店舗です。

開店時の店舗数は121店ですが 昨年の来客数は 想定を大きく上回り 増設が予定されています。

フードコートには 成田空港の発着便が リアルタイムに表示されています。

 

外人観光客を想定して 外貨交換所も有ります。

6.酒々井インターチェンジ

高速道路施設が 「酒々井パーキングエリア」 しか無かったいため、インターチェンジが新設され

「東関東道 酒々井インターチェンジ」 として 2013年4月10日に オープンしました。

酒々井ICは、酒々井パーキングエリアとは分かれており、佐倉ICから富里ICへ向かって 7.0キロメートルの

地点に位置しています。なお、このICは 県道 富里酒々井線に接続しています。

     

酒々井インターチェンジ 新設工事のころ

 後ろ側に見える 黄色の建物が アウトレットパーク

 

    teatime.gif

[トップ ページ][サイトマップ][欧州・アフリカ][アジア][南北アメリカ][日本国内][食べ歩き・泊り歩き][トリビア]